今日もルノアールで

ルノアールで虚空を眺めているときに更新される備忘録

私が食べた本たち(2018/10)

10月に読んだ主な本の備忘録。

セゾン 堤清二が見た未来

セゾン 堤清二が見た未来

セゾン 堤清二が見た未来

西武百貨店に始まり、無印良品やロフトやファミリーマートなど、今にも続く優良企業を数多く輩出してきた企業集団「セゾングループ」のトップ・堤清二。詩人としても活躍してきた彼の実業家としての側面にフォーカスし、彼の強烈すぎる哲学により、個性際立つ企業群の数々がどのように作り上げられたのか、あるいはどのように瓦解していったのか、をフラットな視点からまとめ直した一冊。

私たちの暮らしや生活が、どのように作り上げられていったのかを知る歴史書としてもおもしろいことは言うまでもないが、大きな物語が消失し、個々人がそれぞれの価値観を探っている今の時代に極めて示唆的な響きを持って読めてしまうことに驚いた。「商品を売るのではなくライフスタイルを売る」「モノからコトの消費へ」「店を作るのではなく、街を作る」。今もさかんに言われていることを、堤清二は40、50年前から言っていたのだ。堤清二の先を読む力は半端じゃない。いや、そうじゃないか。堤清二は経済合理性から先を読んでいたというより、いつも思考の真ん中に「人間」がいて、その人間的な幸福を追求していたところがすごいんだと思う。

私たちは成功者を見ると、「自分とは生まれや育ちが違うから」と考えてしまいがちで、それで言うと堤清二なんて、その最たる例だろう。父親は堤康次郎という政治家であり、財界人としてものした人物なわけで、堤清二サラブレッドだ。普通だったら、そこに甘えてしまうと思う。でも、堤清二は後天的に労働者階級の視点を会得しようとし、おそらくそれを身に着けたからこそ、これほどまで消費者に愛されたんだろう。自分と全く立場の違う人間に対する想像力、そこが堤清二の真骨頂って感じた。

ある男

ある男

ある男

小説家・平野啓一郎の最新作。平野啓一郎の作品には、いつも大きな影響を受けてきた。特に『空白を満たしなさい』などでの「分人主義」の提唱には、読後のカンフル剤的な意味合いではなく、明確に救われた実感があるし、今も救われ続けている。

前作に続き、要素として「愛」「恋愛」などは含まれるが、今作は人間という存在の根源に触れようとする作品だった。「愛したはずの夫は、まったくの別人であった」という帯のコピーに表現されているように、今作は他者の人生を生き直した男たちと、彼らに翻弄されてきた女性たちの話。人が相手に何らかの感情を抱くとき、その人は相手の「何」をもって判断するのだろうか。多くは相手の「人となり」と答えるだろうが、その「人となり」を判断する要素は「過去」であり、その過去の語り手は他者だ。つまり、そこにはいくらでも嘘が入り込む余地がある。もし、嘘をついていたら、その人のことを嫌いになるのか。

私たちは、人の「何」を愛しているのか。その人を、その人たらしめている要素とは何か。すさまじく根源的な深い問いかけだ。まだ全く消化できていない。これからも考え続けていきたい。

最初の悪い男

最初の悪い男 (新潮クレスト・ブックス)

最初の悪い男 (新潮クレスト・ブックス)

映画監督であり、小説家でもあるミランダ・ジュライの最新作。相変わらずミランダ・ジュライワールド全開。もう意味がわからない。小宇宙の膨張。

地球星人

地球星人

地球星人

前作の『コンビニ人間』がコンビニという巨大なシステムの一部に組み込まれることで、世間から求められる「らしさ」から逃れる作品だとしたら、今作は地球という巨大なシステム(=工場)から逃れようとする作品。どちらも根底にあるのは、世間が提示する「らしさ」「役割」からの解放だと思う。

なんというか、こういう視点を持てる人が同じ世界に生きていることに感謝したくなった。気付かないうちに、みんな誰が決めたかわからない「常識」の檻に閉じ込められてしまって、息苦しくなるときがあると思う。生きづらさ。村田さんの作品は、その「生きづらさ」から、とんでもない手法によって解放されようとするんだけど、読後は「なんでもいいんだな」って思える。顔も知らないお前のことは知らん、俺は俺の人生を生きるだけだってな感じで。