今日もルノアールで

ルノアールで虚空を眺めているときに更新される備忘録

煙草を吸わなくなるということ

煙草をやめた。いや正確に言うと、昨年末にわりと長期の入院生活を余儀なくされ、半ば強制的にやめることになった。大学生のときに周囲の影響で吸い始めたから、少なくとも5年以上は毎日吸っていたことになる。

現在は、禁煙してから2ヶ月ちょっと。最初の1ヶ月ぐらいは毎日吸いたい気持ちと格闘していたが、今は特定の場面を除き、その気持ちも徐々に薄れつつある。

基本的に禁煙はメリットづくしだ。お金や時間は節約できるし、肺がんリスクは下がるし、初めての場所を訪れたとき、喫煙所を求めてゾンビのように歩き回る必要がなくなる。去年ハワイに行ったとき、喫煙所を求めて軽く1時間近くワイキキをさまよったときは、自分で自分に呆れた。

ただ一方で、禁煙によるデメリットも確実にある、というのが正直な感想である。

一つは、タバコミュニケーションがなくなったこと。仕事を進める中で、わざわざ公衆の面前で誰かに相談に行くほどでもないけど、このままじゃ不安だなという状態は往々にしてあり、そういうとき僕は頼りになる先輩が喫煙所に行くのを確認してから後を追った。喫煙所であれば、直属の上司の目もないため、ざっくばらんに相談することができ、そこでの助言が最終成果の出来に大きく寄与していたことは間違いない。

また、全体会議で全く答えが出なかった議論に、その後の喫煙所での会話で5分で答えが出るなんてこともあった。

もう一つは、いたたまれなくなる瞬間が増えたこと。この世には、煙草を吸うことで「いる」ことが可能になる場所がたくさんある。たとえば、僕のような人見知りは、大勢の人が参加する飲み会に行ったとき、「煙草を吸う人」という役割を勝ち取ることで、その場にいることができていた。

別に煙草なんてなくても、ただいればいいじゃん……と思う人もいるかもしれないが、人は「する」ことがないと、「いる」ことができない生き物なのだ。人見知り芸人は、大勢の人がいる楽屋でペットボトルのパッケージを読み込むそうだが、それと同じだ。「する」ことがないと落ち着かない私たちにとって、煙草とは最も手軽に「する」ことを与えてくれる万能ツールだったのだ。

今後このデメリットをどのように補うのかは検討中。考えれば考えるほど、煙草は便利な言い訳になっていたと痛感している。