今日もルノアールで

ルノアールで虚空を眺めているときに更新される備忘録

またオードリーに救われた話

この世には這ってでも行くべきイベントというものがあり、手負いの状態ではあったものの、『オードリーのオールナイトニッポン10周年全国ツアー in 武道館』に行ってきた。

僕がオードリーのANNを聴くようになったのは、2013年ぐらいだったように記憶している。同じサークルのお笑い好きの後輩に勧められたのがきっかけで聴くようになり、それまでラジオなんて見向きもしていなかったのに見事にハマった。その後、あの手この手で過去の放送もすべて聴き、ひどいときは24時間に近い感じで流していた。就活によりメンタル崩壊したとき、留年中の孤独でたまらなかったとき、新卒で入った出版社にうまく馴染めなかったとき、大げさじゃなくいずれも若林の言葉だけが救いだった時期がある。

今も折に触れて思い出すのは、2016年5月の回(意外と最近だった)。

“ネガティブと37年間戦ってきた”若林が、『パイセンTV』にてマッチョな意見ばかり発信する春日に対し、「何を強者の論理をわざわざ電波に乗せて発信してるんだよ! もっと何も生きていて楽しくないってやつをワクワクさせろよ!」とブチ切れていた回だ。何かこの言葉に僕が若林に救われていた理由が凝縮されているような気がするし、このときの咆哮は仕事でしんどくなったとき、頭で鳴り響いていたりもする(ちなみにすぎるが、同じく若林の性を持つ元WIRED編集長の若林恵さんの「マーケットにとっての善がすなわち社会の善とは限らないのも言わずもがなのことだ」という言葉もよく思い出す)。

当日は、10時ぐらいに武道館へ。いつもは目覚まし時計×3のスヌーズ機能をフルに活用し、なんとか起きているような状態だが、この日ばかりはiPhoneの一発目のアラームでバチコンと起床。ただ電車の中でTwitterを見てみると、すでに武道館限定のパーカーやスウェットは売り切れたよう。

チケット抽選のときも思ったけど、みんな普段どこに隠れてるの? 疑問に思いながら、まだ残っていたリトルトゥースのTシャツとラスタカラーのリストバンドを購入。特にやることもないので一旦帰宅。

ボケーッと前回の放送などを聴き返し、16時ぐらいに再度武道館へ。座席につくやいなや、会場全体を埋め尽くす大勢のリトルトゥースに改めて感動。テンションが上がった僕は隣の人に「グッズとか買いました?」と意気揚々と話しかけたが、「いや、買ってないです」との返答でワンラリーで会話終了。人間関係不得意丸出しで申し訳ない。

開演後、オープニングトークのあとは、いつものラジオの通り若林と春日のフリートーク

若林は、隠れた(亡くなった)親父の墓問題を解決するために、青森までイタコに会いに行ったことについて。生前「親族と同じ墓には入りたくない!」と親父さんが言っていたのを聞いた若林は、遺骨をどうすればいいか本人(イタコ)に聞いてみようと思い立ったのだという。

一人目のイタコは、フリースにジーパンの普通の私服の出で立ちで登場。そのイタコは、若林曰く「親父が言ってたの聞いたことない!」という「喉が痛い!」を連呼し(親父さんは肺がんで亡くなっている)、ろくに会話も成立しないうちに終了。間髪入れずに料金を請求され、一同騒然となり、その場をあとにしたという。

二人目のイタコは、どでかい数珠を付けたそれっぽいお爺さんが登場。「これこれ!」とテンションの上がる若林。しかも、今度はキチンと会話が成立し、話しているうちに、若林ほか同行者もみな号泣。お墓については、親族の墓の隣に立てることを提案してきたそう。「この考えはなかったな」と思った若林は、母親と姉に今回のイタコのことを報告するが、「怪しいのはやめて」の一言で一蹴された。

春日は、フライデー事件の顛末について。春日には狙い合っている間柄の女性(狙女)がおり、いつもラジオでは頑なに付き合っていることを認めないのだが、今回のフライデーの報道により、そうも言っていられなくなった。

お詫びに彼女とは温泉旅行へ行き、さらに両家の家族が集まり、椿山荘で食事会を行ったそう。彼女との旅行は一泊11万円の高級旅館に泊まったそうで、もとを取るために4回かましてやったと言っていた。最初の鎌倉デートのときも、ラジオで真っ直ぐにデートの話をしていたが、武道館で彼女(狙女)のことを堂々と長尺で話すってどうかしてるな(褒め言葉)。

ヒロシのコーナーは、被り物をした春日の胸の部分を、若林がボールで狙うというもの(書いていて意味がわからない)。早々に春日の胸部分にボールはヒットし、被り物が破れて乳首があらわになったわけだが、サプライズはその後。まさかの春日の彼女さん(狙女)が登場し、逆に若林にボールを当てまくる展開に。狙女の登場は春日も知らなかったようで、この日一番の盛り上がりとなった。

後半戦は、ショーパブ祭り。お馴染みバー秀とビトさんが登場し、それぞれ往年のネタを披露。途中、冷たい空気になる場面もあったが、久しぶりに二人とオードリーの絡みを拝むことができて良かった。

次のゲストは、松本明子と梅沢富美男。松本明子は『オス・メス・キッス』で春日と共演し、梅沢富美男は若林と共演し、『夢芝居 feat MCwaka』とでもいうべき楽曲が披露された。相変わらずMCwakaのリリックは素晴らしいんだけど、フロウも完全にラッパーのそれで驚いた。MCバトルやってる芸人さんとかいるけど、若林のスキルは群抜いて高いと思う。

その後は「死んでもやめんじゃねえぞ」のコーナーにて一旦締め、最後はオードリーの漫才。フリートークをフリにした「親父」についての漫才で、30分ぐらいやっていたような気がする。グルーヴがすごくて、そのおもしろさを言葉にするのは難しい。ただ、『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』でも言及していたけど、若林にとって「親父の死」っていうのは、自分のスタンスを変えるほどショッキングな出来事だったわけだ。そんな言うなればマイナスな出来事を、漫才により価値を転倒させていて、これぞ芸人!って思ったし、めちゃくちゃかっこよかったよ、正直。

エンディングでは、お馴染みカラーボトルの『10年20年』をBGMに、これまでの振り返りの映像や音声が流れた。お客さんが7人しか入らなかったという小声ライブの映像に始まり、どうしても虎の被り物をしたくない!とごねる若林の咆哮、『日曜芸人』にて他の人に迷惑をかけるのが怖くて号泣している若林、『ヒルナンデス』でイケアの椅子をぶっ壊した映像などなど。こうした過去の映像や音声が流れるたび、それを見ていた聞いていた当時の自分の姿が思い出されて、時間の積み重なりというのを感じているうちに閉幕。ベタに俺も頑張ろうと思わせてくれた。頭からケツまで最高のライブだった。

終演後、足早に世界に紛れ込んでいく(ように見えた)リトルトゥースたちを横目に、改めて夢のような空間だったんだと痛感。九段下駅から電車が進むたび、魔法が溶けていくような感覚を味わった。

帰宅すると、数少ない知り合いのリトルトゥースから連絡が来ていた。彼とは数年前にラジオの出待ちで出会ったのだが、交流はそのときに一度飲んだきり。僕より3つ年下の彼は、当時就職を目前に控えており、その人間関係不得意丸出しの感じに、僭越ながら少し心配な気持ちがあった。

メッセージを読むと、現在は新潟に転勤しており、今回はライブビューイングで参加したそうだ。気になる仕事については、「最初はうまく会社に馴染めない日々を送っていたが、同僚がリトルトゥースであることが判明してからは、力を合わせて仕事を頑張っている」というようなことが書かれていた。良かった。

とりあえずは彼と東京で飲むことを目下の楽しみとしつつ、これからも生き延びていきたい。アディオス!