今日もルノアールで

ルノアールで虚空を眺めているときに更新される備忘録

視点を変えれば世界が変わる

気付けば大学で借りている本が150冊を突破した。加えて、研究との関連性が高いものはなるべく購入するようにしているから、デスクにはうず高く本が積まれており、部屋中に本が散乱している。別にこのままでも良いと言えば良いのだが、愛猫のひじきはトイレ以外でも頻繁に砂かけムーブをするので、床に本を置いているとブルドーザーのように運んでいってしまう。さすがに図書館で借りている本を汚してはまずいので、重い腰をあげて掃除する。

部屋中の棚やファイルを引っ張り出していると、就職活動時のESが出てきた。受験した企業が出版社や広告代理店ばかりだったからか、やけに自由記述欄が大きいものが目立つ。そこにデカデカと書いてあるキャッチコピーらしき文言はいつも同じ。「視点を変えれば世界が変わる」。文字に打ってみると少々青臭いようにも思えるけど、今も考えていることはさほど変わらないなとも思う。

幼い頃から、未来は「防衛すべきもの」だった。失われた30年をフルに生きているわけだから世代に特有のものなのかもしれないし、自分の性格によるところも大きいのかもしれないけれど、今日よりも明日が良くなるなんて感覚は持った試しがないし、未来がやってくることが怖くてたまらなかった。だから、未来に殺されないために、「視点を変えれば世界が変わる」と、おまじないのように繰り返していた。たとえ、この先どんな状況に置かれたとしても、自分の視点のとり方一つで喜びも見つけ出せるはずだと。言い換えれば、社会は絶対に変わらないということを前提にしているわけだから極めてネガティブな発想ともいえるが、このおまじないに出会えたことは自分にとって一つの転機になるほど大きな出来事だった。

この前読んだ『きのこのなぐさめ』は、マレーシア出身の文化人類学者が、きのことの出会いを通じて緩やかに「回復」していく姿を綴ったエッセイである。著者は大学生のときに交換留学生としてノルウェーに行き、そこで出会ったノルウェー人のエイオルフと結婚。それから彼の地で文化人類学者としてアカデミックなキャリアを積んできたが、突如、夫との死別を経験し、悲しみに明け暮れるところから物語は始まる。

きのこと出会うきっかけは、生前のエイオルフと一緒になんとなく申し込んでおいたというきのこ講座だ。初日は食用きのこと毒きのこの見分け方などの基本的な事柄を学び、次のプログラムは森に出かけてのフィールドワークである。そこで著者は「かつては景色のひとつとしか捉えておらず、目の前を通り過ぎていたきのこが、そこら中にあること」に気付く。きのこを愛する者にとって、森は以前と同じ世界ではないのだ。

もちろん、少しの知識を蓄えただけではまるで歯が立たない。きのこは非常に不確実性の高い存在だ。周辺環境や直近の気候によりある程度の目星は付けられるものの、それ以外にもあまりに多くの変数により影響を受け、さらには人間の予想を上回る場所に出現することも多いため、お目当てのきのこを見つけるのは容易なことではない。本書では、いかにきのこを見つけるのが難しいことか、が繰り返し論じられているが、その象徴的なエピソードとして「きのこ運」を高めるために、欲をかかずにあえて小さなカゴを持っていこうとする熟練者の姿が描かれるほどだ。著者曰く、「きのこがいつ生えてくるか予想するのは、占星術の鍛錬に似ている」。

しかし、こうした難しさがあるからこそ、著者はまるで「宝探し」のようにきのこの世界に没頭していき、その魅力を「フロー」という概念から説明してみせる。心理学者・チクセントミハイの論じたフローとは、自我を忘れて自らの心理的エネルギーが一つの対象に向けて集中している状態のことを指す。一般にアスリートなどがよく引き合いに出されるが、著者は「きのこを見つける度、時間が止まったような感覚」に陥ると語り、きのこ狩りをフローと禅の両方を一度に体験できるものであると指摘する。

もしかしたら、「たかがきのこ狩りに大げさな……」と思われるかもしれないが、一口にきのこと言っても、食用として重宝されているというヤマドリタケから、毒があり食用には向かないが色鮮やかなベニテングタケや、ビターアーモンドのような香りが魅力のアガリクスアウグストゥスまで多種多様なのだ。本書では形や色もさまざまなこれらのきのこが写真付きで紹介されているが、それらを見ていると食べるだけではない「きのこを探す」魅力がひしひしと伝わってくる。

なかでも特に著者のお気に入りは、トガリアミガサタケだ。この「かくれんぼの名人」であるきのこは、「柄の上に鎮座した、乾いた脳」のような風体をしており、食欲をそそるような見た目はしていないが、きのこ愛好家にとっては憧れの存在。数年間、狩りに出かけては失敗を繰り返した著者がようやく出会ったのは高級住宅街の花壇だという。いかにきのこがアンコントローラブルな存在かを象徴するような出会いだが、著者はこのきのことの出会いにより「声にならないムンクの叫び」をするほどの陶酔感を得る。

こうして、著者はきのこの世界を通して悲しみの淵からの再生の契機を見出す。

きのこの宇宙が開けると同時に、再生への道は思ったより単純だとわかった。それはちかちか、きらきらきらめく喜びをただ集めることだ。

ほかにも、本書にはきのこの味わいや匂いに関する比較文化的な考察、きのこ愛好家たちによる秘密の場所を巡る駆け引き、マジックマッシュルームの謎解きなど、きのこのめくるめく世界が紹介されているが、私が受け取ったメッセージは私のおまじないとも共振していた。

悲しみは突然やってくるかもしれない。けれど、同じように喜びも突然やってくる。視点を変えてみれば。

自分の機嫌は自分で取れるか?

先日、仕事をしながらポッドキャストを聞いていると、パーソナリティが「自分の機嫌を自分で取ることが必要ですよね」と発言し、アシスタントのアナウンサーがその発言に力強く同調するという一幕があった。数年前であれば、「確かにそうだよな」と納得し、気にも留めない発言だったかもしれないが、いつの間にかこの発言に違和感を覚えるようになっている自分に気付いた。

もちろん、自分なりのセルフケアの方法を持っておくことは重要だ。何らかの厄介事に遭遇し、ストレスがたまっているとき、自分に適したケアのツールを認識しておくことは、日々の生活を送ることを強力に支援してくれるに違いない(前に出したZINEでもセルフケアについて聞くアンケート企画をやったぐらいだ)。

他方で、自分の機嫌を自分で取ることは、案外難しいことでもある。この考え方の背景には、「自分のことは自分が一番よく知っている」という前提があるように思われるが、ただでさえ精神的に落ち込んでいるとき、何が自分にとっての悩みの種になっているかを同定し、その上で適切な対処を行うことができる人がどれだけいるだろうか。

北海道浦河べてるの家で生まれた「自分助け」の技法に、当事者研究というものがある。べてるの家は、1984年に設立された精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点だ。数年前、夏に毎年行われる「べてるまつり」に訪れたことがあるが、新千歳空港からバスで2時間ほどの位置にあり、事前に想像していた街の風景とのギャップに驚いた覚えがある。

そんな場所で2001年に生まれたのが、当事者研究である。今や東大のなかにも講座があり、全国各地に団体が生まれるなど有名になりつつあるが、そこではお互いに自らの「困りごと」をテーマとした研究を他者に向けて発表し、それぞれの経験を分かち合いながら、その解釈や対処法をともに考えていくことが志向される。前提となっているのは、「自分のことは自分が一番よく知らない」ということだ。だからこそ、一人で黙々と困りごとに向き合うのではなく、外部に向けて開くことで、ともに自らの体験の記述を試みる。

僕自身は、べてるで実践されているような文字通りの「当事者研究」を実践しているわけではないが、数年前に大病してからというもの、類似した「病いの経験」を持つ他者に話を聞くことをライフワークとしている。インタビューでは、互いに自らの経験を語り合うような状況になることもしばしばあり、そんなとき自分が長いこと抱え込んできた悩みの輪郭が見えてくるような感覚を受けることが多々ある。他者を介することで、それまで自分にとって不可視化されていた悩みが顔を出すのだ。自らの悩みを位置づけし直すことは、それ自体が治療的な効果をもたらすものであると痛感している。また、多数の類似した他者に話を聞く過程で、自らの悩みが自分個人の問題ではなく、社会の問題であることに気付くことも少なくない。仮に悩みの根幹に構造的な問題が潜んでいるのだとすれば、自分一人で機嫌を取ることは難しい。仮にその場を乗り切ったとしても、本質的な問題解決にはつながらず、それは単に社会に適応しただけのことに過ぎない。

新型コロナウイルスが流行し、他者とのリアルな交流が難しい昨今、確かに自分で自分の悩みに対処することが求められている側面はあるかもしれない。ただ、それは数ある選択肢のうちの一つでしかない。もしも、常に自分の悩みを自力で解決し、ご機嫌でいることが個人の標準スキルのように捉えられてしまえば、かなり辛いことになるのは目に見えている。ときに、自分のことは自分が一番よくわからず、ともに自分を探っていく作業が必要になることもあるのだ。

猫に話しかけない

朝はバナナ。在宅勤務が始まった当初は、せっかく時間が浮いたのだからと豪勢な朝食を用意してみたりしたこともあったけど、朝からたくさん食べると消化にエネルギーが持っていかれてしまうのでやめた。ヨーグルトとかシリアルとか、いろいろと試した結果、毎日食べても飽きず、なおかつ日中のパフォーマンスを維持できる存在としてバナナに落ち着いた。なので、今朝もバナナを食べてから活動開始。

歩いて5本ほどのところに借りている自習室へ。ここ1週間格闘している医療人類学の論文を読むために。受験生と思しき子たちと肩を並べながら、電子辞書と文法書片手に論文を黙々と読む。『Forest』ならぬ『Evergreen』片手に読む(版元が代わり名称が変わったらしい)。sicknessとillnessの違いを延々と論じているのだけど、肝心なところで掴みきれない。気付けば1章読むのに2時間ほどかかっていた。ただ、全く苦じゃない。興味のある分野だと単語一つインストールされるだけでもすごく前進した気になれるし、つまづいたときのグリップ力みたいなものが違うと思う。

昼、行きつけの町中華を経由し、マッサージをキメる。1時間ほどしっかりとほぐしてもらう。追加で仮眠オプションあればなあと思いながら、時間なので無理やり身体を起こして帰宅。ポツポツと仕事のメールを返し、夕方までダラダラと過ごす。

夜、Amazonから猫関連本が届く。現代思想の猫特集とか、ネコメンタリーの書籍版とかいろいろ。読んでると、思ったよりも素朴に飼い猫の性格や癖とか考えとかを代弁しているように見えるテキストが目につき、ほとんど猫に話しかけもしない自分は冷たい人間なのではないか、という気がしてくる。自分の場合は猫が喉をグルグル鳴らしていても、別にご機嫌だとは限らないと思ってしまうし、そもそも猫が何を考えてるか自体、あんまり興味がない。YouTubeとかであまりにあけすけに「お腹減ったにゃあ」「ご主人さまおかえりなさい」みたいなテロップの付いた映像を見ると、どこからその自信はわいてくるのか、と訝しんでしまうぐらいだし、猫は表情で自分の感情を伝えられるみたいな研究もあるみたいだけど、けっきょくどこまでいっても人間の視点から分類した感情じゃないか、と思ってしまう。今のところ、何を考えているのか分からないぐらいの距離感でちょうどいい。もっと一緒にいる時間が長くなれば変わっていくのかな。

待ち時間の長い病院だからこそ生まれる「対話」について

今、定期的に通っている病院の待ち時間は死ぬほど長い。この間は15時に予約していたのに、実際に診察されたのは17時を大きく過ぎていた。そんなとき、以前までの僕であれば「だったら最初から遅れることを見越し、予約時間を調整しろよ」と思っていただろう。いや、思うだけに留まらず、苦情の一つや二つ入れていたっておかしくない。時は金なり的な価値観を深くインストールした僕は、何よりも時間を浪費する感覚に生理的とも言える嫌悪を覚えるのだった。

しかし、今、病院の待合室で腰掛ける僕には少し違った景色が見えている。待ち時間が発生するということは、とどのつまり、医師と患者が十分に時間をかけて対話していることにほかならないと知ったからだ。2年前の心臓発作の治療過程において、僕は対話こそ治療の要に他ならないと考えるに至った。

当初、僕が入院していた病院は心疾患の権威と呼ばれるような医師を数多く排出してきたいわゆる名門。特に小児心疾患においては、ある時期までほかに比較対象がないほど先をいっており、僕自身も前々からお世話になっていたため、発作という不測の自体が起きたとき、その病院が最有力候補に上がってくるのはごく自然な流れだった。

しかし、緊急入院することになり数週間、僕の身体は24時間常に病院に在るというのに、医師と対話する機会はごく限られていた。もちろん、口うるさい僕に何度か時間を取ってくれはしたものの、それは対話というよりも医師から僕への伝達であり、その証拠に僕はほとんど自分の仕事のこと、生活のことを話した記憶がない(中には素晴らしい看護師さんもおり、その方は常に話を聞いてくださった)。

しまいには、何度も医師との対話を求める僕に「先生も外来で忙しいから」と、まるで胡散臭い営業電話を断るような口ぶりでいなす医療従事者も少数ながらいた。そして、当の僕も僕で、「まあ俺の話を長いこと聞いたところでお金になるわけでもないしな……」と半ば納得してしまうのであった。生死をさまよう状態を脱し、今後の人生の分岐点とも言える治療の渦中にいてなお、経済の声が囁いてくるのだから恐ろしい。こいつといつか折り合いを付けられる日は来るのだろうか。

今となっては、そうした対応も一方的に責められるものとは思っていないし、単純に構造に依るところが大きいと理解できる。しかし、患者の生活というレイヤーで話をする機会が極端に限られていること、そしてそれすらも仕方ないと思えるほどには、僕の頭に会計的な発想がインストールされていることに驚いた。

その後、僕は同病院の治療方針に納得いかず、いわゆる「ドクターショッピング」の状態に陥った。疾患の性質上、僕が向かった病院のほとんどは大学病院。とにかく建物はきれいだし、病院内には小洒落たカフェが設置されているところも少なくなかった。ある病院では、診察の順番を知らせる小型のデバイスを配っているところもあり、診察までの時間を「有効活用」できるようになされていた。

ただ、そうした病院も一様に診察の時間は短かった。別に診察時間が10分を超えるとブザーが鳴るわけでもなんでもないわけだが、明らかに切り上げたがっている態度を示されると、こちらとしても心が砕かれていく。また、たいして僕の顔も見ず紹介状に目を落とし、ろくすっぽ話を聞かないという人もいた。当然、それらの病院でくだされた治療方針は納得いくものではなかった。

そうして最後に行き着いたのが、もはや東京でもないとある大学病院。そこで一通りの検査を受け、待合室に向かうと、モニターには「120分遅れ」の文字が点滅していた。遅れが出るということは、予想と実態の乖離があったわけで、今日日ここまで精度の低い予想のもと病院運営を行うなど信じがたかった。しかしそれでも自分に選択肢はない。持っていた本を取り出し、ひたすらに待った。結果、15時の予定だったところ、実際に診察が始まったのは18時を過ぎていた。

ひたすらに時間を浪費することに嫌悪を覚えていた僕は、ほとんど怒り心頭のような有様で入室し、極めてふてぶてしい態度で話を始めた。すると、その医師は今の仕事状況や生活のことなど仔細に話を聞き始め、僕のしち面倒な疑問に対しても、懇切丁寧に話をしてくれた。それどころか、「他の先生にも話を聞いた方が良いから」とその場で別に医師に電話をし、部屋まで用意してくれる有様だった。呼ばれた先生は「◯◯先生は強引なんだから」と少し苦笑いしていたが、僕の疑問が尽きるまで話を聞いてくれた。気付けば涙が溢れていた。

最終的に僕はその病院で治療することを選択し、ほかの病院で示された治療方針とは全く異なる治療のもと、無事に社会復帰することができた。ここで重要なことは、治療方針が違ったという単純なものではない。ポイントは、患者の人生に耳を傾け、その患者にとっての「病」の位置づけをし、そこから治療方針を導き出すというプロセスにある。最初に診察に対応してくれた先生の口癖は、「beyond the guidelines(ガイドラインのその先に)」だった。

治療とは対話でしかありえない。今の僕は、そう確信している。もちろん、治療することで完治の見込める外傷などはその限りではないかもしれないが、その後も多かれ少なかれ病と付き合う必要性が生じるのであれば、その病を背負っていくのは患者だ。しかし、医学の言葉だけでは病を背負うことができない。だから、その病がその患者に人生のなかにどう位置づけられるのか、そのことを一緒に探ること。その目的のもとに対話を重ねることが肝要なのだ。

そして、対話を重ねることは、時間を重ねることに他ならない。それを知っているから、今の僕は、待ち時間の裏にある患者と医師の対話を透かし見るのだ。

籠城日記 #6

GW最終日。つくねをつくった。つくねをつくったと言うと、なんでつくね!?と言われるけど、好きだし楽だし便利だし良いと思う。焼いてる途中、ふとレシピに目をやると塩の分量を間違えていたことに気付いた。4倍入れてた。うどんと一緒に食べたら喉が渇いて仕方なかった。料理の失敗ってへこむ。この前、豚の角煮を煮込みすぎたら、この世の筋という筋を全て集めましたみたいな仕上がりになって、本当にお皿ぶん投げたくなった。

夜、たまたま友人の出演しているインタビュー記事を読んだ。彼は広告業界に進み、ずいぶん活躍しているということは聞いていたけど、本当に広告の人特有の言葉を使っていて驚いた(そりゃそうだが)。立ってる場所で言葉の使い方ってずいぶん変わるなあ。もともとあんまり歯切れの良いタイプじゃなかったのに、すごく饒舌な感じに喋っていた。なんだか複雑な気持ちになったけど、自分も自分で常に環境によって文体は変化しているのだろうし、ごちゃごちゃ言っても仕方ないな。向こうからしたら、みみっちいことばっかり言ってるように映るかもしれないし。またしかるべきタイミングで彼と会えることを楽しみにしつつ、そっとじした。