今日もルノアールで

ルノアールで虚空を眺めているときに更新される備忘録

ラジオが聴けなくなった日

ピエール瀧さんが、麻薬取締法違反容疑で逮捕された。僕はそれほど熱心な電気グルーヴファンというわけではなかったが、この一件はことのほかダメージが大きく、まさに心にぽっかりと穴が空いたようだった。

電気グルーヴとしてフジロックやソニマニ等々で観ることは何度もあったし、俳優としても数々の映像作品で見かけていたものの、僕にとってのピエール瀧と言えば、まず「たまむすび」の木曜パートナーである。

たしか、大学4年生ぐらいから聴き始めたから、もう番組とは5年ほどの付き合いになり、僕の日常にがっちりと組み込まれた存在なのは間違いない。

最近は仕事の関係でさすがにリアルタイムで聴けることは少なくなったが、仕事帰りの銀座線で、帰宅後のお風呂場で、料理をしながらキッチンで、ほとんど欠かさずラジオクラウドで聴いていた。

特に僕はネガティブなことを考え出すと止まらなくなる癖があるのだが、そういうときは「たまむすび」を流すことでネガティブとのクラッチを切るように努めてきた。「たまむすび」で何か有益な情報が得られるかと言うと、決してそんなことはないのだが、日々をやり過ごさせてくれる確かな何か、があったことは間違いない。

とりわけ瀧さん出演の木曜日は楽しみにしており、OPトークだけでなく、すべてのコーナーを聴くようにしていた。

特に14時からの「はがきで悩み相談」のコーナーは、どんなシリアスな悩みに対しても、瀧さん得意のユーモアによる回答が冴え渡っており、大好きだった。NHKの「SONGS」でも自身で語っていたけど、誰よりもユーモアによるマジックを知っている人だったと思う。そんな瀧さんに、ぼくは大いに憧れていた。

そういえば、過去に「はがきで悩み相談」が採用されたこともあった。たしか、大学5年生のときに「社会人になったら、どのへんに住むか迷っている」みたいなことを送ったように記憶している。「今は東京の東側がおもしろい」という情報を受け、赤江さんの「浅草なんかいいんじゃないですか。三社祭でお神輿担いだりとか!」との回答に、すかさず「そんなに簡単に神輿担げると思ってます!? まずはビール注ぎからでしょ!」と瀧さんが鋭くつっこんでいたのを覚えている(そして、僕はけっきょく浅草付近に住んだ)。

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今回の逮捕報道を受け、直後の放送では赤江さんが泣きながら瀧さんの代わりに謝罪を行っていた。わかっちゃいることだけど、赤江さんの「骨を拾う」という言葉からも、もう二度とあの木曜日の昼下がりは帰ってこないということが明確に示されていた。それから瀧さんの不在ばかり思い出し、僕にとっての『たまむすび』は何かが変質してしまったようで、いつものように聴けなくなった。今はもう『たまむすび』を聴いていない。誰が木曜日のパートナーを務めているのかも知らない。

まさかこんな日が来るとは思わなかった。こんなときこそ、ユーモアの力を借りたいところだが、今はまだできそうにない。

街の記憶

そういえば今年も確定申告に行ってきた。昨年は、ずぼらのくせに一人でやろうとして、三日三晩かかった。今年は同じ轍を踏まないためにも、サクッとたたき台を作り、税務署にGO。結果、一日で終わった。人に頼るって大事だ。

帰り道、上野税務署裏の路地に入ると、すさまじい数の室外機が。

病院食

なぜか、香港を思い出した。いわゆる100万ドルの夜景とか、『恋する惑星』でお馴染みの重慶マンションとか、夜市で道路いっぱいに広がる屋台とか、香港にはアイコニックな風景がたくさんあるわけだけど、自分にとっての香港というのはどうやら「室外機」らしい。

数年前、香港には撮影の仕事で行ったのだが、街中を走り回っていると、上空からボッタボタ水滴が落ちてきた。「ん、雨かな?」と見上げると、そこにはマンションから突き出した大量の室外機が設置されており、その“生活がむき出し”になっている様が強く印象に残った。


出典:HON KONG vision

そういえば、その前に行ったニューヨークで言うと、真っ先に思い出されるのは「臭い」だ。

飲食店の裏手や街のゴミ捨て場には真っ昼間でも大量の生ゴミが積み上がっていて、日本じゃお目にかかれないどでかいネズミがわっさわっさ群がっている。初日に見たゲロの塊は1週間後もまだあったし、水たまりには明らかにただの水じゃない液体が流れ込んでいて、強烈な腐敗臭を放っていた。


出典:Flickr CC/Garry Knight

香港以上にニューヨークなんてアイコンだらけの街だ。それでも、なぜかふとしたときに思い出すのは、こんなことだったりするから、人の記憶というのはおもしろい。

またオードリーに救われた話

この世には這ってでも行くべきイベントというものがあり、手負いの状態ではあったものの、『オードリーのオールナイトニッポン10周年全国ツアー in 武道館』に行ってきた。

僕がオードリーのANNを聴くようになったのは、2013年ぐらいだったように記憶している。同じサークルのお笑い好きの後輩に勧められたのがきっかけで聴くようになり、それまでラジオなんて見向きもしていなかったのに見事にハマった。その後、あの手この手で過去の放送もすべて聴き、ひどいときは24時間に近い感じで流していた。就活によりメンタル崩壊したとき、留年中の孤独でたまらなかったとき、新卒で入った出版社にうまく馴染めなかったとき、大げさじゃなくいずれも若林の言葉だけが救いだった時期がある。

今も折に触れて思い出すのは、2016年5月の回(意外と最近だった)。

“ネガティブと37年間戦ってきた”若林が、『パイセンTV』にてマッチョな意見ばかり発信する春日に対し、「何を強者の論理をわざわざ電波に乗せて発信してるんだよ! もっと何も生きていて楽しくないってやつをワクワクさせろよ!」とブチ切れていた回だ。何かこの言葉に僕が若林に救われていた理由が凝縮されているような気がするし、このときの咆哮は仕事でしんどくなったとき、頭で鳴り響いていたりもする(ちなみにすぎるが、同じく若林の性を持つ元WIRED編集長の若林恵さんの「マーケットにとっての善がすなわち社会の善とは限らないのも言わずもがなのことだ」という言葉もよく思い出す)。

当日は、10時ぐらいに武道館へ。いつもは目覚まし時計×3のスヌーズ機能をフルに活用し、なんとか起きているような状態だが、この日ばかりはiPhoneの一発目のアラームでバチコンと起床。ただ電車の中でTwitterを見てみると、すでに武道館限定のパーカーやスウェットは売り切れたよう。

チケット抽選のときも思ったけど、みんな普段どこに隠れてるの? 疑問に思いながら、まだ残っていたリトルトゥースのTシャツとラスタカラーのリストバンドを購入。特にやることもないので一旦帰宅。

ボケーッと前回の放送などを聴き返し、16時ぐらいに再度武道館へ。座席につくやいなや、会場全体を埋め尽くす大勢のリトルトゥースに改めて感動。テンションが上がった僕は隣の人に「グッズとか買いました?」と意気揚々と話しかけたが、「いや、買ってないです」との返答でワンラリーで会話終了。人間関係不得意丸出しで申し訳ない。

開演後、オープニングトークのあとは、いつものラジオの通り若林と春日のフリートーク

若林は、隠れた(亡くなった)親父の墓問題を解決するために、青森までイタコに会いに行ったことについて。生前「親族と同じ墓には入りたくない!」と親父さんが言っていたのを聞いた若林は、遺骨をどうすればいいか本人(イタコ)に聞いてみようと思い立ったのだという。

一人目のイタコは、フリースにジーパンの普通の私服の出で立ちで登場。そのイタコは、若林曰く「親父が言ってたの聞いたことない!」という「喉が痛い!」を連呼し(親父さんは肺がんで亡くなっている)、ろくに会話も成立しないうちに終了。間髪入れずに料金を請求され、一同騒然となり、その場をあとにしたという。

二人目のイタコは、どでかい数珠を付けたそれっぽいお爺さんが登場。「これこれ!」とテンションの上がる若林。しかも、今度はキチンと会話が成立し、話しているうちに、若林ほか同行者もみな号泣。お墓については、親族の墓の隣に立てることを提案してきたそう。「この考えはなかったな」と思った若林は、母親と姉に今回のイタコのことを報告するが、「怪しいのはやめて」の一言で一蹴された。

春日は、フライデー事件の顛末について。春日には狙い合っている間柄の女性(狙女)がおり、いつもラジオでは頑なに付き合っていることを認めないのだが、今回のフライデーの報道により、そうも言っていられなくなった。

お詫びに彼女とは温泉旅行へ行き、さらに両家の家族が集まり、椿山荘で食事会を行ったそう。彼女との旅行は一泊11万円の高級旅館に泊まったそうで、もとを取るために4回かましてやったと言っていた。最初の鎌倉デートのときも、ラジオで真っ直ぐにデートの話をしていたが、武道館で彼女(狙女)のことを堂々と長尺で話すってどうかしてるな(褒め言葉)。

ヒロシのコーナーは、被り物をした春日の胸の部分を、若林がボールで狙うというもの(書いていて意味がわからない)。早々に春日の胸部分にボールはヒットし、被り物が破れて乳首があらわになったわけだが、サプライズはその後。まさかの春日の彼女さん(狙女)が登場し、逆に若林にボールを当てまくる展開に。狙女の登場は春日も知らなかったようで、この日一番の盛り上がりとなった。

後半戦は、ショーパブ祭り。お馴染みバー秀とビトさんが登場し、それぞれ往年のネタを披露。途中、冷たい空気になる場面もあったが、久しぶりに二人とオードリーの絡みを拝むことができて良かった。

次のゲストは、松本明子と梅沢富美男。松本明子は『オス・メス・キッス』で春日と共演し、梅沢富美男は若林と共演し、『夢芝居 feat MCwaka』とでもいうべき楽曲が披露された。相変わらずMCwakaのリリックは素晴らしいんだけど、フロウも完全にラッパーのそれで驚いた。MCバトルやってる芸人さんとかいるけど、若林のスキルは群抜いて高いと思う。

その後は「死んでもやめんじゃねえぞ」のコーナーにて一旦締め、最後はオードリーの漫才。フリートークをフリにした「親父」についての漫才で、30分ぐらいやっていたような気がする。グルーヴがすごくて、そのおもしろさを言葉にするのは難しい。ただ、『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』でも言及していたけど、若林にとって「親父の死」っていうのは、自分のスタンスを変えるほどショッキングな出来事だったわけだ。そんな言うなればマイナスな出来事を、漫才により価値を転倒させていて、これぞ芸人!って思ったし、めちゃくちゃかっこよかったよ、正直。

エンディングでは、お馴染みカラーボトルの『10年20年』をBGMに、これまでの振り返りの映像や音声が流れた。お客さんが7人しか入らなかったという小声ライブの映像に始まり、どうしても虎の被り物をしたくない!とごねる若林の咆哮、『日曜芸人』にて他の人に迷惑をかけるのが怖くて号泣している若林、『ヒルナンデス』でイケアの椅子をぶっ壊した映像などなど。こうした過去の映像や音声が流れるたび、それを見ていた聞いていた当時の自分の姿が思い出されて、時間の積み重なりというのを感じているうちに閉幕。ベタに俺も頑張ろうと思わせてくれた。頭からケツまで最高のライブだった。

終演後、足早に世界に紛れ込んでいく(ように見えた)リトルトゥースたちを横目に、改めて夢のような空間だったんだと痛感。九段下駅から電車が進むたび、魔法が溶けていくような感覚を味わった。

帰宅すると、数少ない知り合いのリトルトゥースから連絡が来ていた。彼とは数年前にラジオの出待ちで出会ったのだが、交流はそのときに一度飲んだきり。僕より3つ年下の彼は、当時就職を目前に控えており、その人間関係不得意丸出しの感じに、僭越ながら少し心配な気持ちがあった。

メッセージを読むと、現在は新潟に転勤しており、今回はライブビューイングで参加したそうだ。気になる仕事については、「最初はうまく会社に馴染めない日々を送っていたが、同僚がリトルトゥースであることが判明してからは、力を合わせて仕事を頑張っている」というようなことが書かれていた。良かった。

とりあえずは彼と東京で飲むことを目下の楽しみとしつつ、これからも生き延びていきたい。アディオス!

私が食べた本たち(2019/01)

いつの間にか2月すらも終わっていたけど、1月に読んだと思われる本のまとめ。全部おもしろかった。

ベルリンは晴れているか

ベルリンは晴れているか (単行本)

ベルリンは晴れているか (単行本)

前作『戦場のコックたち』が直木賞候補にも選ばれた深緑野分さんの最新作。帯には「歴史ミステリー」とあり、確かに「殺人犯は誰だ?」というミステリーの要素はあるのだが、それよりも市井のドイツ人少女から見た戦争体験記として読めた。

戦後のベルリンではアメリカ製の歯磨き粉や煙草ですら高値で売買されていたこと、動物園から脱走した動物を食べるほど食糧不足だったこと、敗戦国の少女にとってはただ町を歩き回るだけでも危険が満載だったことなど、当時のドイツの様子が仔細に描かれており、これを日本人が描いたのか!と思うと驚きしかない。そこにいたとしか思えない生々しさ。

途中途中には、ナチス政権下のドイツの姿も描かれており、いかに市井の人たちがナチスの統制をくぐり抜けるのが難しかったか、確かな科学的根拠もない中、どのようにユダヤ人はユダヤ人たらしめられたのか、ということがこれまたリアルに描かれている。この作品を読んで、初めてナチスの本当の恐ろしさを肌で実感できたような気がする。当日のドイツにいたら……と思うと、自分がどのように行動するのか自信が持てない。

異なり記念日

異なり記念日 (シリーズ ケアをひらく)

異なり記念日 (シリーズ ケアをひらく)

みなさんおなじみ「ケアをひらく」シリーズより。淡いブルーの表紙がよい。

異なるからこその不甲斐なさと、喜びに貫かれた日々の記録。違いに悩んでいるすべての人(要は全人類)に贈りたい一冊である。著者の齋藤陽道さんは、日本語を母語とし、聴者の文化で育った。奥さんのまなみさんは、日本手話を母語とし、ろう者の家族に囲まれながら育った。そして、子どものいつきさんは、聴者としてこの世に生を受けた。

三者三様、異なる出自を持った三人が一つ屋根の下で暮らす中で、世界は「ことば」でできていると知る。音声言語としての「言葉」ではなく、眼差しや表情、ちょっとした身振りをすべて包括したものとしての「ことば」。たとえ聞こえなくても、私たちは「ことば」のやりとりをすることができる。

もちろん、綺麗事ばかりじゃない。ろう者であるということには、実際的な不便が生じる。奥さんのまなみさんが倒れたとき、いつきさんがベッドから落ちたとき、聞こえないから気付けない。そして、いつきさんが音楽に対して喜びを表現しているとき、その感情を共有することができない。その冷酷すぎる事実に胸が苦しくなる。しかし、それでも。それでも、著者は「異なることがうれしい」と、まずは言い切ってしまおうと、この本を結ぶ。

読んでいるとき、常に頭にあったのは幼い頃の僕だ。先天性の疾患があり、4歳のときに手術を受けた関係で、僕は小学生のとき運動制限があった。マラソンなど激しい運動のときは必ず見学させられて、そのたびに「お前は普通じゃねえんだよ!」と突きつけられているようで、すごく落ち込んだ。だからこそ、一時期は過度に「普通」になろうとし、周りに合わせ、自分の感情など忘れてしまっているようなときもあった。率直に言って、人と異なっているってことは寂しく苦しいことだ。だから、『異なり記念日』は、そんな苦痛でしかない記憶を持つ僕にとって救いになった。最高。

ゴールデン街コーリン

ゴールデン街コーリング

ゴールデン街コーリング

著者の作品は『不夜城』三部作のほか、『漂流街』『夜光虫』なども読んでおり、脳みそがヒリヒリするようなスリリングな展開が大好きだ。ただ今作は著者の自伝的小説ということで、これまでとはかなり毛色が違う。新宿ゴールデン街を舞台にした青春小説。いわゆる昭和的な人間模様がそこにはあり、観光地化しつつある今のゴールデン街とは、似て非なるものなんだろうと思わせられた。またノワール作家として有名な馳星周が、どこから来たのかを知る意味でも非常に興味深く読めた。

気持ちのいい看護

気持ちのいい看護 (シリーズ ケアをひらく)

気持ちのいい看護 (シリーズ ケアをひらく)

看護師と作家の二足のわらじで活動する宮子あずささんによる看護論。看護師の表も裏も語った「本音の書」という立ち位置かなと思った。

まず、驚いたのは著者の“誠実さ”。「私は、人を徹底的に傷つけてまで言わなきゃならないたいそうなことなんてこの世にはないと思っています。だからこそ、“自分がいまどういう立場で書いているか”とその足下を見つめる作業のほうに、エネルギーを注ぐのです」という言葉の通り、著者はけっこうな紙幅を割き、自分が看護師を志した経緯から病院での経歴、自らの思想的信条などを書き連ねる。どの立場の人が物を言っているか、という「視点」がかなり明確に示された上で論が展開されるので、読者としては内容が非常に理解しやすい。

全く本論とは逸れるけど、この何か言うための「お作法」的な部分、今の時代にこそ超重要なのではないかなと思った。当事者の意見が特権化しがちな昨今、「世の中には、『当事者にならないとわからないこと』と『当事者になったらわからなくなってしまうこと』があるんだと思います」という一説もあり、思わぬところで勇気づけられたり、気付かされたりした。

看護論については、2000年刊行という事情もあり、頷ける部分と頷けない部分があったけど、看護師側のぶっちゃけを知れたことで、患者(自分)偏差値が上がったことは間違いない。看護師にも患者の好き嫌いはあること、自身の専門性に対する懐疑と戦っていること、医者と患者の狭間という立ち位置に苦しむことなど、看護師さんを取り巻く状況をざっくり理解できた。

ただ、当時と今では看護師と患者の関係性はかなり大きく変わっているとも思う。本書には、看護師と患者は個別の関係性を築くべきだ、という暗黙の前提があった上で、「患者さん個人の個別性と、病気からくる普遍性のあいだを行きつ戻りつすることが、『患者さんを見る』ということなのではないでしょうか」と提案しているが、現代において病院の看護師と患者の関係は匿名化されたものが主流になりつつあるように思う。

久しぶりに入院した「外側の目」から看護師さんを眺めると、とにかく言質を取られないように余計なことは一切言わず、病院という大きな生態系を駆動させるために顔の見えない存在に徹しているように見えた(全ての病院がそうかわからないけど)。この変化は何を表しているのか。単純に高齢社会に伴う患者数の増加により、一人の患者にかけられる時間が少なくなったのか、モンスターペイシェント的なクレーマーの増加により、一人の患者に深くコミットすることが忌避されるようになったのか、はたまた両方か。

悲しくてかっこいい人

悲しくてかっこいい人

悲しくてかっこいい人

ミュージシャンであり、作家でもあるイ・ランのエッセイ集。なるべく速く答えを出すことが求められる昨今、著者は決して教訓めいたことを言わず、ひたすら問い続ける。「なぜ、わたしのあごは痛むのか?」「なぜ、ただの友達と会うのはこんなに大変なのか?」「私はどうしたら癒やされるのか?」「何をしたら面白くなるだろう?」等々。

何かを言い切るというのは楽ちんだし、それなりにウケもいいのかもしれないけど、あんまりにも饒舌な人を見ると警戒してしまう。その点、イ・ランは信頼できる。歯切れが悪くても、常に揺れ動きながら問い続けている人は信頼できる。確かなことは何も言えないけど、とにかく疑問だけはたくさんある自分にとっては今後たびたび読み返す一冊になりそう。

CHAVS

チャヴ 弱者を敵視する社会

チャヴ 弱者を敵視する社会

ダイバーシティの重要性が叫ばれて久しいが、その一方で貧困に陥った弱者は「自己責任」の名の下、公然と攻撃される。そんなイギリスの様子を克明に描いた怒りの一冊。

正直、他人事とは全く思えなかった。人種的マイノリティや性的マイノリティに対する意識というのは、昨今かつてないほど高まっており、これ自体は確実によい傾向だと思うが、一方で生活保護受給者だったり、いわゆる情弱と呼ばれる人だったりのことは、どこで合意形成されているのかわからないが、当たり前のようにぶっ叩く人がいる。

どのような環境に生まれるのか、という完全な運ゲーにより、その後の生活が規定されてしまうという端的な事実があるのに、既得権益は自らの立場を守るために「今の地位を勝ち取ったのは自分の努力のおかげだ」と信じて疑わない。貧困、弱者の連鎖は続く。

個人的に興味深かったのは、いかにジャーナリストやメディア関係者の大半が同じような出自を持っているか、というのを指摘したこと。

イギリスでは14人に1人の割合で私立高に進むというが、トップジャーナリストの半数以上は私立高の出身だという。この伝える側の偏りというのは、そのまま弱者への無理解に直結するのは間違いない。だって、いわゆる弱者と呼ばれるような人と接点などないのだから。本人はゴリゴリのエスカレーターなのに、私は弱者のために!みたいなことを言うやつには気を付けよう(まあ最終的に人によるけど)。正直、発言者の出自を見るってのは大切だ。

煙草を吸わなくなるということ

煙草をやめた。いや正確に言うと、昨年末にわりと長期の入院生活を余儀なくされ、半ば強制的にやめることになった。大学生のときに周囲の影響で吸い始めたから、少なくとも5年以上は毎日吸っていたことになる。

現在は、禁煙してから2ヶ月ちょっと。最初の1ヶ月ぐらいは毎日吸いたい気持ちと格闘していたが、今は特定の場面を除き、その気持ちも徐々に薄れつつある。

基本的に禁煙はメリットづくしだ。お金や時間は節約できるし、肺がんリスクは下がるし、初めての場所を訪れたとき、喫煙所を求めてゾンビのように歩き回る必要がなくなる。去年ハワイに行ったとき、喫煙所を求めて軽く1時間近くワイキキをさまよったときは、自分で自分に呆れた。

ただ一方で、禁煙によるデメリットも確実にある、というのが正直な感想である。

一つは、タバコミュニケーションがなくなったこと。仕事を進める中で、わざわざ公衆の面前で誰かに相談に行くほどでもないけど、このままじゃ不安だなという状態は往々にしてあり、そういうとき僕は頼りになる先輩が喫煙所に行くのを確認してから後を追った。喫煙所であれば、直属の上司の目もないため、ざっくばらんに相談することができ、そこでの助言が最終成果の出来に大きく寄与していたことは間違いない。

また、全体会議で全く答えが出なかった議論に、その後の喫煙所での会話で5分で答えが出るなんてこともあった。

もう一つは、いたたまれなくなる瞬間が増えたこと。この世には、煙草を吸うことで「いる」ことが可能になる場所がたくさんある。たとえば、僕のような人見知りは、大勢の人が参加する飲み会に行ったとき、「煙草を吸う人」という役割を勝ち取ることで、その場にいることができていた。

別に煙草なんてなくても、ただいればいいじゃん……と思う人もいるかもしれないが、人は「する」ことがないと、「いる」ことができない生き物なのだ。人見知り芸人は、大勢の人がいる楽屋でペットボトルのパッケージを読み込むそうだが、それと同じだ。「する」ことがないと落ち着かない私たちにとって、煙草とは最も手軽に「する」ことを与えてくれる万能ツールだったのだ。

今後このデメリットをどのように補うのかは検討中。考えれば考えるほど、煙草は便利な言い訳になっていたと痛感している。