今日もルノアールで

ルノアールで虚空を眺めているときに更新される備忘録

私が食べた本 #01『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』

月ごとに読んだ本をまとめるつもりが、冊数が多くなればなるほど腰が重くなり、更新が滞ることに気付いたので、これからは一冊ごとに雑に記録する。それでも続くかわからないが……。

アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した

アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した

  • 作者: ジェームズ・ブラッドワース,濱野大道
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2019/03/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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イギリスのジャーナリストであるジェームズ・ブラッドワースが、アマゾンの倉庫ピッカー/訪問介護士/コールセンターの窓口/UBERのドライバーとして実際に働き、そこで見聞きしたことをまとめた一冊。とはいえ、訪問介護士とコールセンターについては、実際の体験の記述は非常に薄く、基本的には同僚などへの聞き取り調査がまとめられている。そういう意味で、アマゾンとUBERは言葉に血が通っていておもしろい。

それぞれのピッカーは、商品を棚から集めてトートに入れる速さによって、最上位から最下位までランク付けされた。

当初は雇用が生まれると歓迎されていたアマゾンの倉庫だが、その行き過ぎた管理主義により労働者は疲弊し、今や東欧の人たちしか働いていないとのこと。ゲゲゲと思ったのは、ここには懲罰制度が存在し、仕事で何かミスをしたりするとポイントが加算されていき、5ポイント溜まると解雇になるということ。このポイントの加算は極めて恣意的に運用されており、もう少しで正社員という人に筋の通らないポイント加算があるほか、なんと病欠を理由に仕事を休むことでもポイントが加算される。人間的なものが何もない世界。それだけに、アマゾンの用いるハイテンションな言葉は空疎に響く。

全員を「アソシエイト」と呼ぶことは、みんながひとつの幸せな大家族であるという錯覚を生み出すために仕組まれた策略のように思われた。

そして、実際に体験したからこその実感として、以下のような記述があった。

仕事のあまりの惨めさが、タバコ、アルコール、そのほかあらゆる刺激に対する欲求を駆り立てた。

ある午後にニルマールが私に言ったように、「この仕事をしていると無性に酒が飲みたくなる」のだ。

よくアルコール依存症や喫煙者は「自己責任」と十把一絡げに切り捨てられるが、あまりに惨めな仕事をさせられることを余儀なくされ、その帰結として刺激を求めて飲酒や喫煙に向かう人たちのことを誰が責められるだろう。じゃあ別の仕事を探せばいいと思うかもしれないが、彼らにそんな選択肢はない。

少しのおしゃべりさえ高望みなのだと彼らは気付いているのだ。

これは訪問介護士のパートでの一説。社会福祉の予算が削られる中、数をこなすことでしか生活費を賄えなくなった訪問介護士は、次から次に極めて事務的に仕事をこなさざるを得なくなり、その結果として介護を受ける側が「迷惑をかけたくない」と自主規制する。だから、「おしゃべりすら高望み」ということになる。ごく最近まで入院していた実感から、日本の大学病院でも多かれ少なかれこの傾向はあると思う。現場の介護士や看護師がどうという問題ではなく、仕組みとして患者とおしゃべりすることに経済的なメリットが認められないのだから仕方ない。中には、そこを逸脱して対応してくださる方もいたけど、それはその方の良心により成り立っている脆すぎる状態。

日本でも介護士の低所得は問題になっているけど、ケアに携わっている方々はもっとリスペクトされるべきだし、もっと経済的なメリットを受け取るべきなのは間違いない。もっとこのあたりは勉強したいところ。

どんなにドライバーを増やしてもウーバー側にはほとんど埋没費用は生じず、税金関連の事務処理が増えるわけでもなかった。請負人であるドライバーとは出来高払いの契約を結んでいるため、仕事がなければ支払いは発生しない。

乗車リクエストの80パーセントを受け容れなければ「アカウント・ステータス」を保持することができないと通知している。

「好きなときに好きなだけ働ける」という柔軟性を売りにするUBER。労働者たちは形としては個人事業主として働いていることになっているが、実は労働者にほとんど自由はなく、UBERの言う通りにしなければ、働くことはできなくなってしまう。結果として、企業としては雇用にまつわる税の支払いなど負担を全くなくした形で、労働者たちを意のままに使えるようになったというわけだ。

もちろん、UBERの参入はタクシー業界にイノベーションを起こしたし、悪いことばかりではないが、良いことばかりではない。

AmazonUBERも非常に身近なサービスだが、自分のクリックの向こう側で、誰かが人としての尊厳を剥奪された状態で働かせられているかもしれない。そこに対する想像力は忘れずにいたい。

勢いで窯元に行ったら、人間国宝にお会いできた話

GWに京都で友人と会う約束があり、そのついでに急遽鳥取に2泊3日で行ってきた。

鳥取と言えば、まず真っ先に「砂丘」が連想される。そして、最近では青山剛昌先生や水木しげる先生の出身地としても注目を集めており、空港や通りに作品の名前が冠せられたりしている。しかし、今回の目的はそのいずれでもなく、「器」である。

少し前まで「器」自体に全く興味はなかったのだが、つい最近牛ノ戸焼の染分皿を目にする機会があり、ひと目で気に入ってしまった。


出典:器屋うらの

このお皿との出会いをきっかけに、鳥取には柳宗悦の一番弟子とも言われる吉田璋也という偉大な民藝プロデューサーがいたということを知り、改めて民芸運動について調べているうちに、1度現地に行ってみようという気持ちになった。安西水丸さんの『鳥取が好きだ。水丸の鳥取民芸案内』を携え、折坂悠太(鳥取出身)を聴きながら、とりあえず牛ノ戸焼の窯元を見れればいいかなというゆるい気持ちで向かう。

初日は夕方ごろに到着し、まずは「たくみ工芸店」にGO。扉を開けるやいなや、さまざまな窯元の個性豊かな器が置いてあり、一気に惹き込まれてしまった。

物色していると、店員さんと軽く目があったため、挨拶がてら「明日は窯元に行こうと思ってるんです」と話しかけてみると、「ほう、それはよっぽど器がお好きなんですね」との回答。てっきり器好きの人は窯元に行くもんだとなぜか思い込んでいたが、わざわざ窯元まで行ってみる人はかなり少ないらしい。現地で初めて知った。

そして、「もし行くのであれば、事前に電話しておいた方がいいですよ。窯元の多くは家族でやっていらっしゃるので不在の場合もあります」とも教えていただき、こんな1ヶ月前に器に興味を持ち始めた素人が突撃していいものか……としばし悩むが、このために来たのだから行ってみようと思い直す。

店をあとにしようとしたところ、「ちなみに今回はお車ですよね?」と聞かれ、「いえ、電車ですけど」と答えると、あからさまに店員さんの顔が曇り、「それは…もしかしたら難しいかもしれないですね…。窯元は多くが山奥にあり、公共交通機関で行きづらいんです」と衝撃の宣告。しかも、牛ノ戸焼や同じく染分皿で有名な中井窯は、特に行きづらい場所にあるそう。

なんのために来たんだ……としばし呆然と立ち尽くしていると、「いや、でも何か方法があるかもしれません……とりあえず駅の観光案内所に行ってみてはどうでしょう?」と提案され、ダメ元で観光案内所に向かう。すると、やはり公共交通機関で行くのは難しいと言われてしまったが、タクシー乗り放題のプランがあるから、それを使ってみてはどうか、と提案してくださった。

3時間付きっきり9200円。

決して安い金額ではない。しかし、窯元に行けないとなると、なんのために来たのかわからない! えいやと申込みをすませ、明日に備える。

翌日は砂丘や砂の美術館を午前中に済ませ、13時から窯元巡りスタート。ドライバーは、カキモト(仮名)さんという50代ぐらいの女性。元気なおばちゃんという感じ。「若いのに器に興味があるなんて立派ねえ。私なんて鳥取に住んでいるのに、全然詳しくないから恥ずかしいわ」と30回ほど繰り返され、「いや、僕も全く詳しくないんですが……」と返答するも、全然聞いていない感じで、一方的にマシンガントークを受けながら向かう。

鳥取駅から30分弱、まずは中井窯に到着。

中井窯

中井窯は、原宿のBEAMSや中目黒のSML等々で展示を行っている窯元さん。洗練されたお洒落さがあり、自分を含め、おそらく器初心者的にも取っ付きやすいようで、若い女性もちらほら来ていた。

この日は定番の染分皿を始め、柳宗理ディレクションの作品群や新作(?)の青磁なども置いてあり、1時間ほど眺め倒す。特に青磁は、ほかのどこでも見たことのない不思議な青で、これに炒飯入れたらいいなとまで妄想したが、かなり高額だったため断念。今回は、大きさもちょうどよかったため、柳宗理ディレクションの染分皿にしておいた。

中井窯

ちなみにドライバーのカキモトさんは、なぜか店内まで付いてきたあげく、窯元の方に「中井窯のデザインって牛ノ戸焼と似てますよね。素人目には違いがわからなくて、ガハハ」といった千原せいじ方式の会話を繰り出しており、僕は内心で「カ〜キ〜モ〜ト〜」と叫び倒していた。怖いものなしすぎるぜ。

次は、牛ノ戸焼窯元へ。中井窯からほど近く、10分かからず到着。7代目にあたる小林遼司さんに丁寧に出迎えていただいた。

こちらは吉田璋也が民藝に興味を持ったきっかけの窯元さん。中井窯のように専門の販売所があるわけではなく、焼く前の器などが保管されている場所に一緒に作品も置いてあり、そこを見せていただく形。

今回の旅のきっかけにもなった窯元さんのため、ちょうどいい大きさの三方掛皿やコーヒーカップがあればぜひ購入したかったのだが、この日は大物中心のラインナップでご縁なく……。銀座の「たくみ」にも卸しているとのことなので、東京に帰ったら覗いてみようと思う。

何も購入しなかったにも関わらず、最後はご親切に登り窯まで見せていただき、あまりの大きさに言葉を失った(驚きすぎて写真撮るの忘れた)。昔ほど頻繁には使わないそうだが、今でも年に1度2度は使っているそう。


出典:Wikipedia

というわけで、お目当ての2つの窯元巡りは思いの外スムーズに終了。どちらの窯元の方も大変親切にご対応いただき、行ってみるもんだな、と大満足。

まだ多少タクシーの時間はあるものの、もう近場で行きたいところもなかったため、ゆっくりめに帰ってもらおうかなと思っていると、カキモトより「この近くに白磁で有名な窯元があるみたいなので行ってみませんか」との提案を受ける。

正直、染分皿の鮮やかなバイカラーに惹かれた自分としては、白磁には興味を持てるイメージがわかず、しかもその窯元さんには前日に電話もしていないため、いきなり行ったらご迷惑になるのではないかとの思いから渋っていると、「ダメ元でいいじゃないですか。とりあえず行きましょう!」と半ば強制的に向かうことに。

ほどなくして、やなせ窯に到着。いきなりの訪問なのに、カキモトはけっこうな勢いでお庭に車を入れるからひやひやする(窯元さんはご家族で営まれていることが多く、自宅と工房を兼ねている場合が多い)。

下手したら怒られるのではないかとおそるおそる玄関に向かうと、作家さんの奥様が出迎えてくださり、お家の中に招いてくださった。

やなせ窯
やなせ窯
やなせ窯

自分は今まで本当の白を知らなかったのではないか、と思わされるほどの圧倒的な白!

僕の粗末すぎる写真からは伝わらないが、作品の周辺の空間だけ時が止まっているような感覚を受ける。正直、今回の旅で最も衝撃を受けた。

黙々と作品を見ていると、奥様がお茶とお菓子を持ってきてくださった。なんとなく世間話をしていると、ヌルっと部屋の奥から男性が登場し、同じテーブルに着席。「お邪魔してます」と声をかけると、優しい笑顔で名刺のようなものを渡してくださり、ちらっと経歴を見ると、「重要無形民俗文化財保持者」との文字。人間国宝現る。

理解が追いつかず、ぼーっとしていると、「どうして器に興味を持ったのですか?」と話を振っていただき、その後は「民藝とは何か」「お気に入りの器のある生活の豊かさ」というようなことをお話しいただいた。レコーダー持っていなかったことを悔いた。

そんなわけで終始感動しっぱなしだったわけだが、途中カキモトは「人間国宝の作品なんてお高いんでしょ〜、こいつ〜」みたいなトークを放り込んできて、まじでぶん殴ろうかと思った(やなせ窯に来れたのはカキモトのパワープレイの賜物であると念じ、必死に我慢したけど)。

というわけで、今度こそ駅に戻ろうかなと思っていたところ、「実は近くに若い作家さんの窯があり」という話になり、なんと今度は花綸窯に向かうことに。花綸窯の花井さんはわざわざやなせ窯まで迎えに来てくださり、一緒に向かう。

花井さんは福岡で陶芸の修行されており、数年前に独立を考えたときに、鳥取に作家の誘致構想があることを知り、移住してきたんだとか。自宅内で作品を見せていただき、牛ノ戸焼ともまた違う風合いのもので気に入り、湯呑を買わせてもらった。たまに東京でも展示を行っているそうで、タイミングが合えば行ってみようと思う。

花綸窯

というわけで、ここらでついにタイムアップ(というか、カキモトが「陶芸だけで食べて行けるもんなんですか?」みたいな思い切った踏み込み方をし始めたので切り上げた)。駅に戻ったときは16時半近かったけど、特に追加料金取られることもなく終了。

ちょこちょこカキモトに愛想をつかしそうになりながら、ともあれ結果的に3時間で4つの窯元を回ることができた。

事前に下調べし、窯元にまで行く人は少ないという情報を得ていたら、おそらく窯元に行くことはなく、こんなに濃密な体験はできなかったであろう。最終日、「たくみ」の店員さんに窯元巡りの報告に行くと、「ほんと度胸ありますよね(笑)」と言われた。度胸は全くないと自負しているが、ときには無知がゆえの勢いで行動してみると、壁の向こう側にある世界を知ることにつながるのは間違いなさそう。なんだかんだカキモトの勢いにも助けられた。

今度鳥取に来たときは、延興寺窯や山根窯あたりを攻めたい。

ラジオが聴けなくなった日

ピエール瀧さんが、麻薬取締法違反容疑で逮捕された。僕はそれほど熱心な電気グルーヴファンというわけではなかったが、この一件はことのほかダメージが大きく、まさに心にぽっかりと穴が空いたようだった。

電気グルーヴとしてフジロックやソニマニ等々で観ることは何度もあったし、俳優としても数々の映像作品で見かけていたものの、僕にとってのピエール瀧と言えば、まず「たまむすび」の木曜パートナーである。

たしか、大学4年生ぐらいから聴き始めたから、もう番組とは5年ほどの付き合いになり、僕の日常にがっちりと組み込まれた存在なのは間違いない。

最近は仕事の関係でさすがにリアルタイムで聴けることは少なくなったが、仕事帰りの銀座線で、帰宅後のお風呂場で、料理をしながらキッチンで、ほとんど欠かさずラジオクラウドで聴いていた。

特に僕はネガティブなことを考え出すと止まらなくなる癖があるのだが、そういうときは「たまむすび」を流すことでネガティブとのクラッチを切るように努めてきた。「たまむすび」で何か有益な情報が得られるかと言うと、決してそんなことはないのだが、日々をやり過ごさせてくれる確かな何か、があったことは間違いない。

とりわけ瀧さん出演の木曜日は楽しみにしており、OPトークだけでなく、すべてのコーナーを聴くようにしていた。

特に14時からの「はがきで悩み相談」のコーナーは、どんなシリアスな悩みに対しても、瀧さん得意のユーモアによる回答が冴え渡っており、大好きだった。NHKの「SONGS」でも自身で語っていたけど、誰よりもユーモアによるマジックを知っている人だったと思う。そんな瀧さんに、ぼくは大いに憧れていた。

そういえば、過去に「はがきで悩み相談」が採用されたこともあった。たしか、大学5年生のときに「社会人になったら、どのへんに住むか迷っている」みたいなことを送ったように記憶している。「今は東京の東側がおもしろい」という情報を受け、赤江さんの「浅草なんかいいんじゃないですか。三社祭でお神輿担いだりとか!」との回答に、すかさず「そんなに簡単に神輿担げると思ってます!? まずはビール注ぎからでしょ!」と瀧さんが鋭くつっこんでいたのを覚えている(そして、僕はけっきょく浅草付近に住んだ)。

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今回の逮捕報道を受け、直後の放送では赤江さんが泣きながら瀧さんの代わりに謝罪を行っていた。わかっちゃいることだけど、赤江さんの「骨を拾う」という言葉からも、もう二度とあの木曜日の昼下がりは帰ってこないということが明確に示されていた。それから瀧さんの不在ばかり思い出し、僕にとっての『たまむすび』は何かが変質してしまったようで、いつものように聴けなくなった。今はもう『たまむすび』を聴いていない。誰が木曜日のパートナーを務めているのかも知らない。

まさかこんな日が来るとは思わなかった。こんなときこそ、ユーモアの力を借りたいところだが、今はまだできそうにない。

街の記憶

そういえば今年も確定申告に行ってきた。昨年は、ずぼらのくせに一人でやろうとして、三日三晩かかった。今年は同じ轍を踏まないためにも、サクッとたたき台を作り、税務署にGO。結果、一日で終わった。人に頼るって大事だ。

帰り道、上野税務署裏の路地に入ると、すさまじい数の室外機が。

病院食

なぜか、香港を思い出した。いわゆる100万ドルの夜景とか、『恋する惑星』でお馴染みの重慶マンションとか、夜市で道路いっぱいに広がる屋台とか、香港にはアイコニックな風景がたくさんあるわけだけど、自分にとっての香港というのはどうやら「室外機」らしい。

数年前、香港には撮影の仕事で行ったのだが、街中を走り回っていると、上空からボッタボタ水滴が落ちてきた。「ん、雨かな?」と見上げると、そこにはマンションから突き出した大量の室外機が設置されており、その“生活がむき出し”になっている様が強く印象に残った。


出典:HON KONG vision

そういえば、その前に行ったニューヨークで言うと、真っ先に思い出されるのは「臭い」だ。

飲食店の裏手や街のゴミ捨て場には真っ昼間でも大量の生ゴミが積み上がっていて、日本じゃお目にかかれないどでかいネズミがわっさわっさ群がっている。初日に見たゲロの塊は1週間後もまだあったし、水たまりには明らかにただの水じゃない液体が流れ込んでいて、強烈な腐敗臭を放っていた。


出典:Flickr CC/Garry Knight

香港以上にニューヨークなんてアイコンだらけの街だ。それでも、なぜかふとしたときに思い出すのは、こんなことだったりするから、人の記憶というのはおもしろい。

またオードリーに救われた話

この世には這ってでも行くべきイベントというものがあり、手負いの状態ではあったものの、『オードリーのオールナイトニッポン10周年全国ツアー in 武道館』に行ってきた。

僕がオードリーのANNを聴くようになったのは、2013年ぐらいだったように記憶している。同じサークルのお笑い好きの後輩に勧められたのがきっかけで聴くようになり、それまでラジオなんて見向きもしていなかったのに見事にハマった。その後、あの手この手で過去の放送もすべて聴き、ひどいときは24時間に近い感じで流していた。就活によりメンタル崩壊したとき、留年中の孤独でたまらなかったとき、新卒で入った出版社にうまく馴染めなかったとき、大げさじゃなくいずれも若林の言葉だけが救いだった時期がある。

今も折に触れて思い出すのは、2016年5月の回(意外と最近だった)。

“ネガティブと37年間戦ってきた”若林が、『パイセンTV』にてマッチョな意見ばかり発信する春日に対し、「何を強者の論理をわざわざ電波に乗せて発信してるんだよ! もっと何も生きていて楽しくないってやつをワクワクさせろよ!」とブチ切れていた回だ。何かこの言葉に僕が若林に救われていた理由が凝縮されているような気がするし、このときの咆哮は仕事でしんどくなったとき、頭で鳴り響いていたりもする(ちなみにすぎるが、同じく若林の性を持つ元WIRED編集長の若林恵さんの「マーケットにとっての善がすなわち社会の善とは限らないのも言わずもがなのことだ」という言葉もよく思い出す)。

当日は、10時ぐらいに武道館へ。いつもは目覚まし時計×3のスヌーズ機能をフルに活用し、なんとか起きているような状態だが、この日ばかりはiPhoneの一発目のアラームでバチコンと起床。ただ電車の中でTwitterを見てみると、すでに武道館限定のパーカーやスウェットは売り切れたよう。

チケット抽選のときも思ったけど、みんな普段どこに隠れてるの? 疑問に思いながら、まだ残っていたリトルトゥースのTシャツとラスタカラーのリストバンドを購入。特にやることもないので一旦帰宅。

ボケーッと前回の放送などを聴き返し、16時ぐらいに再度武道館へ。座席につくやいなや、会場全体を埋め尽くす大勢のリトルトゥースに改めて感動。テンションが上がった僕は隣の人に「グッズとか買いました?」と意気揚々と話しかけたが、「いや、買ってないです」との返答でワンラリーで会話終了。人間関係不得意丸出しで申し訳ない。

開演後、オープニングトークのあとは、いつものラジオの通り若林と春日のフリートーク

若林は、隠れた(亡くなった)親父の墓問題を解決するために、青森までイタコに会いに行ったことについて。生前「親族と同じ墓には入りたくない!」と親父さんが言っていたのを聞いた若林は、遺骨をどうすればいいか本人(イタコ)に聞いてみようと思い立ったのだという。

一人目のイタコは、フリースにジーパンの普通の私服の出で立ちで登場。そのイタコは、若林曰く「親父が言ってたの聞いたことない!」という「喉が痛い!」を連呼し(親父さんは肺がんで亡くなっている)、ろくに会話も成立しないうちに終了。間髪入れずに料金を請求され、一同騒然となり、その場をあとにしたという。

二人目のイタコは、どでかい数珠を付けたそれっぽいお爺さんが登場。「これこれ!」とテンションの上がる若林。しかも、今度はキチンと会話が成立し、話しているうちに、若林ほか同行者もみな号泣。お墓については、親族の墓の隣に立てることを提案してきたそう。「この考えはなかったな」と思った若林は、母親と姉に今回のイタコのことを報告するが、「怪しいのはやめて」の一言で一蹴された。

春日は、フライデー事件の顛末について。春日には狙い合っている間柄の女性(狙女)がおり、いつもラジオでは頑なに付き合っていることを認めないのだが、今回のフライデーの報道により、そうも言っていられなくなった。

お詫びに彼女とは温泉旅行へ行き、さらに両家の家族が集まり、椿山荘で食事会を行ったそう。彼女との旅行は一泊11万円の高級旅館に泊まったそうで、もとを取るために4回かましてやったと言っていた。最初の鎌倉デートのときも、ラジオで真っ直ぐにデートの話をしていたが、武道館で彼女(狙女)のことを堂々と長尺で話すってどうかしてるな(褒め言葉)。

ヒロシのコーナーは、被り物をした春日の胸の部分を、若林がボールで狙うというもの(書いていて意味がわからない)。早々に春日の胸部分にボールはヒットし、被り物が破れて乳首があらわになったわけだが、サプライズはその後。まさかの春日の彼女さん(狙女)が登場し、逆に若林にボールを当てまくる展開に。狙女の登場は春日も知らなかったようで、この日一番の盛り上がりとなった。

後半戦は、ショーパブ祭り。お馴染みバー秀とビトさんが登場し、それぞれ往年のネタを披露。途中、冷たい空気になる場面もあったが、久しぶりに二人とオードリーの絡みを拝むことができて良かった。

次のゲストは、松本明子と梅沢富美男。松本明子は『オス・メス・キッス』で春日と共演し、梅沢富美男は若林と共演し、『夢芝居 feat MCwaka』とでもいうべき楽曲が披露された。相変わらずMCwakaのリリックは素晴らしいんだけど、フロウも完全にラッパーのそれで驚いた。MCバトルやってる芸人さんとかいるけど、若林のスキルは群抜いて高いと思う。

その後は「死んでもやめんじゃねえぞ」のコーナーにて一旦締め、最後はオードリーの漫才。フリートークをフリにした「親父」についての漫才で、30分ぐらいやっていたような気がする。グルーヴがすごくて、そのおもしろさを言葉にするのは難しい。ただ、『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』でも言及していたけど、若林にとって「親父の死」っていうのは、自分のスタンスを変えるほどショッキングな出来事だったわけだ。そんな言うなればマイナスな出来事を、漫才により価値を転倒させていて、これぞ芸人!って思ったし、めちゃくちゃかっこよかったよ、正直。

エンディングでは、お馴染みカラーボトルの『10年20年』をBGMに、これまでの振り返りの映像や音声が流れた。お客さんが7人しか入らなかったという小声ライブの映像に始まり、どうしても虎の被り物をしたくない!とごねる若林の咆哮、『日曜芸人』にて他の人に迷惑をかけるのが怖くて号泣している若林、『ヒルナンデス』でイケアの椅子をぶっ壊した映像などなど。こうした過去の映像や音声が流れるたび、それを見ていた聞いていた当時の自分の姿が思い出されて、時間の積み重なりというのを感じているうちに閉幕。ベタに俺も頑張ろうと思わせてくれた。頭からケツまで最高のライブだった。

終演後、足早に世界に紛れ込んでいく(ように見えた)リトルトゥースたちを横目に、改めて夢のような空間だったんだと痛感。九段下駅から電車が進むたび、魔法が溶けていくような感覚を味わった。

帰宅すると、数少ない知り合いのリトルトゥースから連絡が来ていた。彼とは数年前にラジオの出待ちで出会ったのだが、交流はそのときに一度飲んだきり。僕より3つ年下の彼は、当時就職を目前に控えており、その人間関係不得意丸出しの感じに、僭越ながら少し心配な気持ちがあった。

メッセージを読むと、現在は新潟に転勤しており、今回はライブビューイングで参加したそうだ。気になる仕事については、「最初はうまく会社に馴染めない日々を送っていたが、同僚がリトルトゥースであることが判明してからは、力を合わせて仕事を頑張っている」というようなことが書かれていた。良かった。

とりあえずは彼と東京で飲むことを目下の楽しみとしつつ、これからも生き延びていきたい。アディオス!